今回はどんな人?
今回は、明治大学OBで、グローバルに展開する会社経営と、経営塾の塾頭を務めながら、世界に通用する人材の育成、日本の魅力を世界に伝える活動に尽力されている平渡淳一さんにインタビューさせて頂きました!
✅「自立」への1歩の勇気が出る
✅「グローバルで戦うこと」がわかる
✅目標のためにすべき行動がわかる
平渡淳一さんってどんな人?
✅明治大学法学部卒業
✅28歳時に代表取締役に就任し、2年間で年商3倍の業績アップを実現
✅起業とグローバルを目指す日本人のサポートをしている方
仕事のテーマと具体的な事業内容を教えてください
仕事のテーマは、
①日本がめちゃくちゃ好きなので、日本の良さを広めて、ファンを作ること
②世界で通用するグローバル人材の育成
です。
具体的事業は、
(具体的事業①)ワーホリ.com=海外留学やワーホリから帰国後のキャリアのサポート
日本は年々近隣のアジア諸国と比較して国際競争力が落ちてきているため、インバウンドで日本を盛り上げたいという思いから活動しています。
このような活動は平渡さんの考える日本の課題に基づいているのですか?
訪日外国人観光客が増えているのに外国人をおもてなしできる人材が日本に少ないことや、少子化で日本の市場が縮小し、多くの企業が海外進出せざるを得ない時代にもかかわらず、対応できるグローバル感覚を持った人材が圧倒的に足りないことに危機感を覚え、この課題を解決する事業をしています。
②グローバル起業塾=セミナー・スクール事業
一方で、20代の方は、漠然とした「やりたい」思いはあるが具体的にはなっていない人が多いです。
そのため、将来のキャリアを決めるサポートを目的として
グローバルに活躍しているリーダーや起業を成功させた経営者などを講師として招きセミナーを開いています。
たくさんの起業家・経営者やグローバルに活躍するリーダーたちの話を聞くことにより、段階的に自分がやりたいことが見つかる方がとても多いのが大きな特徴です。
学生のキャリアの意思決定のサポートをしているわけですね。
また、公益財団法人で事務局長を務められてますが、そこでの事業内容を教えてください。
明治大学のOBでワタミ会長の渡邉美樹さんが代表を務める公益財団法人みんなの夢をかなえる会で、渡美塾(渡邉美樹実践経営塾)の塾頭をしています。
この渡美塾では、約400人の塾生(経営者)に対して成長する経営の原理原則やコロナ禍を乗り切る経営戦略などを教えています。
またこの財団法人では「みんなの夢AWARD」という、起業家向けのビジネスプランコンテストを企画・開催しています。
来年3月に12回目の開催となる「みんなの夢AWARD12」では、渋谷公会堂を貸し切り、決勝戦では、2000人の前でビジネスプランの発表を予定しています。
起業を目指す方にとって、この経験はなかなかできない貴重なものだと思います。
【留学】学生時代の活動
学生時代の活動を教えてください。
お金がないのに留学したい気持ちから、塾講、配膳など3つのバイトをしていました。
3年間で200万円貯め、3年次に休学し、カナダのトロントに留学することができましたが、途中で生活費足りず、帰国しました。
親から留学を支援してもらっている学生も多かったので、世の中不平等であると感じました。
それは悔しい思いでの帰国ですね。海外に目をつけていたきっかけはありましたか?
英語に興味があり、学生時代のうちに学びたいと思っていたからです。
結果としてはこの留学を通して、英語以上にダイバーシティを学びました。世界にはいろいろな考えがあることを知り、自分とは考え方が違う相手を受け入れることの大切さを知りました。
日本は同質化の傾向がありますが、相手を認め、自分の意見を述べることが大切であると気づいたのです。
この「ダイバーシティ」の感覚はこれからのグローバル化時代を生きていくために必須になるので、学生の皆さんには出来るだけ早い時期に海外に行ってこの感覚を肌で感じ取って欲しいです。
そのためには短期間でもいいから、留学やワーホリを通じて実際に海外に行くことを勧めています。
留学しなければ得られなかったと思うことは、他にありますか?
ヨーロッパ、アジアの同年代と知り合えたことです。
みんなすごいエネルギッシュで、将来に、大きなビジョンを持っている人が多く、日本の政治や文化について頻繁に質問されました。
そんな機会は日本では滅多にありません。同年代の若者たちと比較して、ビジョンも政治も咄嗟に答えられない情けない経験が、自分をより向上させて世界で戦える起業家を目指すための大きなモチベーションになりました。
また、帰国して、改めて日本の良さを再確認できたことも留学の大きな成果だと考えています。
学生時代に、起業という目標のためにしたことはなんですか?
20代は、自分のスキルを向上させるために、ゼロから新しい価値を作り出す「新規事業」をたくさん経験して、30歳で起業しようと考えていました。
そのため、超氷河期下での就職活動で、三菱銀行に内定をとることができましたが、自身の成長を第一に考え、辞退しました。
【挫折と成功】社会人時代の活動
起業するまでの社会人時代の活動を教えてください。
自分の成長に早くつながる環境がある企業を探し、未上場含め600社を調べた結果、当時未上場で無名ながらもグローバルマーケットで急成長をしている東亜医用電子(現シスメックス)に入社しました。
その後、新規事業の立ち上げを経験するために、ベンチャー・リンクに入社しました。
毎日のように経営者と触れ合う環境で、この会社で起業するための知識と経験を身につけました。
28歳では、引き抜きに合い小さなコンサルティング会社の雇われ社長になりました。ヘッドハンティングを受けたことで、自分の力がついたことを実感しました。
この会社では2年間の社長業を通じて、売上を3倍に伸ばすという貴重な経験をすることができました。
30代までに、経験して良かったことを教えてください。
30歳で起業をする目標達成のために、ゼロから新たな事業を作る「新規事業」を通じて、泥臭いところで事業を立ち上げる経験をしたことです。
起業するまでにした大きな挫折、苦しかったことはありますか?
起業という目標は漠然と持っていましたが、具体的に何の事業で起業をするか?が決まらなかったことです。
最終的には、日本が世界に誇れる居酒屋事業を通じて日本の良さを世界に広めようと考えました。
居酒屋を海外に進出させようと思った理由を聞かせてください。
海外では居酒屋自体がほとんどなかったこともあり、日本の和食居酒屋は、安くてヘルシーでおいしい日本独自の食文化を持っているために海外に出店したら絶対に流行ると感じたからです。
また、居酒屋には、お酌やお辞儀など日本人のおもてなしの文化が詰まっているため、日本人自体が大きな武器になると考えていました。
さらには海外の日本食レストランの経営者は韓国人や中国人がほとんどでしたので、日本人による日本食ブランドを海外でもしっかりと作りたいという思いも強かったです。
日本のファンを世界に作るという目標は、居酒屋の海外展開によって、達成されていたのですね。
起業してからの挫折はありますか
起業して10年間で居酒屋は36店舗に展開し、海外4か国に出店、30億の資金調達もできたのですが、リーマンショックや東日本大震災のあおりを受けて、倒産、自己破産を経験しました。
その結果、負債総額10億を抱え、債務処理に3年程必要としました。
日本では自己破産に対して冷たいですが、北米などでは、倒産は成功へ向かうチャレンジの経験として前向きに評価される傾向があります。
実際、倒産後、カナダの友達は私のチャレンジを褒めてくれたり、ナイアガラのレストランオーナーからは私の経験を高く買ってくれて、社長としてヘッドハンティングされました。
そうした経験が、現在の若い人への支援という活動に繋がっているのですか
失敗を恐れ、挑戦をやめて欲しくないという思いと、先ほど言った海外の若い方々が持つ凄いパワーを体感して日本人として負けないでほしいという思いを持って活動しています。
次のページでは、平渡さんの考える社会に求められる人物像について、深掘りしていきたいと思います。
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