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日本三大校歌の一角!明治大学校歌「白雲なびく駿河台」を紹介!

今回はどんな記事?

今回は明治大学の校歌「白雲なびく駿河台」を紹介していくよ!

この記事を読むと

□明治大学の校歌についてもっと詳しくなれます!

□明治大学の長い伝統がわかります!

□愛校心上昇!明治大学をもっと好きになれます!

日本三大校歌の一角!明治大学校歌「白雲なびく駿河台」

みなさんこんにちは!

明治大学情報局です。

みなさんは明治大学の校歌は知っていますか?

校歌はその学校の顔ともいえる存在ですよね。

小学校や中学校、高校では頻繁に歌う機会がある校歌。

大学ではすべての学生が校歌を歌う機会に恵まれるとは限りません…

それは非常にもったいない!

明治大学の校歌「白雲なびく駿河台」日本三大校歌とも言われる非常に有名な校歌なんですよ!

日本三大校歌

・明治大学校歌「白雲なびく駿河台」

・早稲田大学校歌「都の西北」

・北海道大学校歌「永遠の幸」

3つと一般的に言われています。

そんな物凄い校歌がどのようにして誕生したのでしょうか?

誕生までには紆余曲折とした歴史が隠されています。

作詞・作曲にはあの歴史上の偉人も!

今回の記事では

今回の記事では

・校歌誕生までの知られざる歴史を知ること

・明治大学校歌の歌詞の意味をしっかりと理解すること

を目指していきます!

最後まで読めば校歌を完璧に歌えること間違いなし!!

校歌制定まで紆余曲折!明治大学校歌「白雲なびく駿河台」の歴史

明治大学の校歌誕生までの道のり

明治大学は大変長い歴史を誇る大学です。

2011年には創立130周年を迎えました!

もちろん、“明治”大学と名乗っているくらいですから、その起源は明治時代にまで遡れます。

そんな明治大学に現在の校歌「白雲なびく駿河台」が誕生したのは大正9年のことでした。

しかし!実はそれ以前にも明治大学を代表する歌があったのです。


時を遡ること、明治40年(1907年)。

明治大学は創立30周年の節目にありました。


「大学独自の校歌を作りたい!」

学生や大学関係者の中で校歌制作の機運が高まっていました。


その時作られたのが「とよさか昇る…」の歌い出しで始まる校歌でした。

やっとの思いで完成した校歌でしたが、どうやらあまり人気が出なかったようで。

次第に忘れられていきます…

その後も再び校歌の募集が行われていきました。


しかし、それにも学生たちからは賛同が得られず。

先輩方の校歌へのこだわりが強く感じられるね!

ついに誕生!明治大学校歌「白雲なびく駿河台」

そして大正9年です。

当時の学生たちが熱狂した大学対抗戦の公式試合に応援歌が必要とされました。

まだこれといった大学を代表する歌がありません。

校歌を今度こそは作るぞ!

校歌制定への盛り上がりは最高潮に達しました。

当時の学生自らが主体となって校歌制作が決議されます。

校長先生と談判を繰り返し、大学側をバックにつけた学生たちは本格的に校歌への制作に取り掛かりました。

校歌の作詞は児玉花外 作曲は山田耕作!

学生たちは当時若き詩人として活躍していた児玉花外へ作詞の依頼を打診します。

花外は快く承諾してくれました!

児玉花外…1874年(明治7年) – 1943年(昭和18年)9月20日)は、日本の詩人。はじめ社会主義詩を、後に愛国詩をよくした。『明治大学校歌』[1]の作詞者でもある。本名は伝八(wikipediaより)

それから4ヶ月後。

完璧に仕上がった詩が学生たちのもとへ届けられます。

詞にはメロディをつけなければなりません。

そこで学生たちはある作曲家へ作曲の打診をかけます。

当時の新進気鋭の若手作曲家である山田耕作へ依頼しました。

山田耕作…1886年(明治19年)6月9日 – 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。日本語の抑揚を活かしたメロディで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた(wikipediaより)

山田は他に日本大学の校歌を作曲していました。

多忙の中でしたが、快く受け持ってくれたようです!

一方その頃、作曲の作業に取り掛かっていた山田でしたが、自分のつけた曲が花外の詩にマッチしていないことに気づきます。

花外の許可を取り詩人の西条八十に詞を加えてもらう事にしました。

西条八十…1892年(明治25年)1月15日 – 1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者(wikipediaより)

そこからまた紆余曲折を経ながらも、ようやく満足のいく作曲が完了しました!

山田耕作の熱意が伝わってくるね…!


山田はこの後も応援団に直々に歌唱指導を施したみたいです。

明治大学校歌の初披露!鳴り止まぬアンコール!

大正9年11月に青年会館で開かれた演奏会で初披露がありました。

鳴り止まないアンコールの中、明治大学校歌「白雲なびく駿河台」はやっとの思いで産声をあげたのです!

様々な世界にいる人々を巻き込んでついに完成した明治大学の校歌。

先人たちの汗と涙の結晶ですね。

明治大学の先輩たちに感謝だね!

参考サイト:明大校歌誕生の周辺より

明治大学校歌「白雲なびく駿河台」の歌詞を見てみよう!

明治大学公式ホームページより

「になふ」じゃなくて「にのう」校歌の1番を見てみよう!

「白雲なびく駿河台」の歌い出しで有名な明治大学の校歌。

駿河台とは明治大学駿河台キャンパスが建っている場所です。

台というだけあって周りの土地よりも小高い丘の上にあります。

雲にも届きそうな駿河台という高い場所で、明治大学は高い志のもと学問を究めてきたんですね

そして「遂げし維新の栄になふ」とはどういう意味でしょうか?

維新とは「明治維新」を指しています。

明治大学は江戸幕府滅亡から世の中が新しく生まれ変わるときに誕生しました。

フランス流の自由思想が明治大学の創立者である岸本達夫らの3人を刺激します。

この3人はボアソナードに師事し後に明治法律学校を建学しました。

ボアソナード1825年6月7日 – 1910年6月7日)はフランスの法学者、教育者。日本の太政官法制局御用掛、元老院御用掛、外務省事務顧問、国際法顧問、法律取調委員等を歴任(wikipediaより)

これが明治大学の前身です。

「遂げし維新の栄になふ」とはどういう意味なんでしょうか?

この一節は

「明治維新の新しき時代を担っていく若者を育成する」

という創立当初の心意気が表れているように思います。

ちなみに「になふ」は実際歌われるときには「にのう」と発音されますので注意!

あの早稲田大学も!学問の独立を掲げよ 校歌の2番を見てみよう!

「権利自由の揺籃の」「独立自治の旗翳し」に含まれる意図とはなんでしょうか?

「権利自由・独立自治」とは明治大学の建学の精神です。

当時新政府は中央集権化を図り思想の統一が目指されていました。

それと同時に、学問の自由も脅かされていたのです。

その中でのこのような精神です。

大学という学問の場を守っていく姿勢が感じられますね。

同じ時期に誕生した早稲田大学も建学の精神に「学問の独立」を掲げています。


教育の場はあらゆる権力から独立し、自主性を育みたいと言う意思が強くにじみ出ています。

東アジア一の大学へ! 校歌の3番を見てみよう!

「刻苦研鑽他念なき」「いでや東亜の一角に」とは?

難しい言葉ですよね…

「刻苦研鑽(こっくけんさん)とは決して楽な道を選ばず心身を苦しめて自己のビルドアップに励むことを意味します。

「他念なき」とはそれ以外の煩悩を排除することです。

自分という存在を、仲間たちと共に切磋琢磨していくことが望まれていますね!

そして、東亜とは東アジアのことです。

「いでや東亜の一角に」とは「東アジアを牽引していく」ということでしょう。

その当時、日本は世界の強国へ仲間入りする道を進んでいました。

アジアで初の憲法が制定されたことや日清戦争、日露戦争での勝利からナショナリズムの高揚が校歌に影響していると思われます。

日本を、そして世界をリードしていく明治大学の心意気が感じられますね!

校歌を学ぶ意味とは? 最後は画面の前で歌ってみよう!

校歌を知ることはその大学の歴史や精神を学ぶこと。

校歌を通じて学生の模範は示されるのではないのでしょうか?

そしてまた、明治大学の校歌は大変美しいメロディと言われています。

私たちの大先輩である作詞家の阿久悠さんも明治大学の校歌がきっかけで明治大学に入学したとか…

さらに好きになってもらえたなら幸いです!

そして…

ここまで明治大学校歌「白雲なびく駿河台」の歴史と歌詞を紹介してきました。

もう、みなさん歌えますよね…?

明治大学の校歌はジョイサウンドやカラオケダムにおいても収録されています。

今回の記事で紹介したことを踏まえてぜひ歌ってみてください!

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